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私は昭和49年まで約5年間酒田市で青春時代を過ごした。第2の古里と言えるほど思い出のある所である。その割には普段訪れる機会も無くご無沙汰していたが、今回しばらくぶりにお邪魔する事となった。
酒田は日本海に面しており、魚が美味く又庄内平野があり勿論米も日本酒も美味しい所である。
酒田で酒を飲んだのは、何と25年ぶりの事である。
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最上川スワンパーク
最初に向かったのはスワンパーク、白鳥の飛来数が日本一で何とその数は9,000羽を越える。
それでも鴨の大群はその何倍にもなる。
この日は朝から腫れあがり絶好の写真日和となった。
いかに鴨が多いか下の写真をご覧頂けたら解るかと!
とにかく足の踏み場も無い位で、又かなり賑やかである。 |
餌付けされている為か白鳥と鴨ばかりではない。
ご覧の通りカモメたちも集まってきた。烏までもが?
正に鳥たちの楽園である。
ここに「スワンパークほっとハウス」があり、そこからポリバケツに入った餌を買わなくてはいけない。しかし一日此処にいても飽きる事は無いかも? |
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日和山公園からの大展望!
日和山公園に登ると酒田港から市内までを一望出来る。折角だから大パノラマに挑戦してみた。
三脚で構え、11シーンに分けてシャッターを切った。初めての試みである。
そばにいたおばさんが「何してんの」と!見れば解るだろ〜!
これでは小さくて解らないので、上の写真をクリックすれば大きな画面が立ち上がります。
ぜひご覧下さい。(写真集のパノラマ写真集にも同じものがあります) |
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この日は早朝凄い雨が降っていた。
起きあがった頃には雨が上がっていたが空を見るとどんよりしていて写真を撮るような天候ではなかった。左の写真は酒田港で朝10時を過ぎたとは思えないほど暗かった。
所が時間が経つにつれ明るくなってきて11時過ぎには、パァ〜ッと太陽が出てきて好天となった。
まさかこんなに天気が良くなるとは! |
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手前から「飛島航路のりば」「さかた海鮮市場」「海洋センター」
海鮮市場の2Fが食堂になっていた。
飛島への発着場でもある。 |
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ここが日和山公園、向こうに見えるのが展望台。大パノラマ写真はそこから撮ったものです。
地面は未だ濡れていた。 |
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松尾芭蕉像
「暑き日を海に入れたり最上川」 |
このSLは国産第1号となった同モデルで主に九州から北陸にかけて活躍していたとか |
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旧白崎医院
大正8年の建築、現在は酒田市の指定文化財
酒田大火の写真が展示されているとの事から入ってみた。
下の写真2枚は日枝神社、山門といい本堂といいかなり古く歴史が感じられた。明治時代庄内に大地震があり4000名ほどの犠牲者があったという記録が目に付いた。今回の新潟中越地震の震度を超えるような大地震だったんだろうか? |
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本間家旧本邸
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とうたわせた大地主
明和5年(1768)本間家三代光丘が藩主坂井家の為、幕府の巡見使宿舎として建造。その後拝領し、本邸として使用していた。
立派な武家屋敷ではある。
下左側の写真の松は樹齢が300年との事
右側な庭園の入口。
尚撮影禁止とかでこれ以降の写真は撮れなかった。
入場料700円 |
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山居倉庫
明治26年酒田米穀取引所の付属倉庫として建造、今でも現役倉庫として活躍。
倉庫の1号棟の中には「庄内米歴史資料館」「お米ギャラリー庄内」「酒田夢の倶楽」他レストラン・お土産品コーナーもあり結構人は入っていた。
酒田大火は昭和51年10月
私は既に山形に帰ってきていたが早くもあれから28年の月日が流れた。
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2013.07.21更新
simozyoの写真集NoUに |