山形城霞城公園04.09.12 撮影

霞城公園案内図
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拡大図ご覧下さい。

山形城・東大手門

山形城跡、現在は霞城公園として市民に親しまれ早朝にはジョギングする姿が多く見受けられる。中に市営球場・市民プール・弓道場・県営体育館・市民テニスコート・武道館等があり休日ともなるとスポーツ愛好家で賑わいをみせている。
県内有数の桜の名所としても知られ、花見のシーズンは最高の人出となる。
JRの山形駅から歩いて10分、地図を片手に歩いている観光客をよく見かける。



山形城・城主最上義光公

初代斯波兼頼公から数えて11代目、関ヶ原の功績により57万石(実高百万石)の領地を掌握、三重の濠をめぐらせた山形城を構築、城下町の整備にも力を注ぎ現在の山形市繁栄の基礎を築いた。



山形城跡本丸一文字門石垣復元工事

文化遺産を将来にわたり保存し、霞城公園を山形城跡にふさわしい公園とする為に「霞城公園整備計画」を策定、この計画に基づいて復元工事が進められている。
しかしこのご時世か工事が見た目には全然進んで見えず、2年前と殆ど変わらないと思うのは私だけだろうか?
山形の一大名所となる為にも早期の完成を望む。



最上家の歴史



斯波兼頼は出羽国司・按察使として1356年に山形に入部し、その翌年山形城を築城した。室町幕府は兼頼に、幕府勢力の拡大のため、出羽国から南朝勢力を追い払うことを命じた。兼頼が築城した山形城は、本丸程度の規模の館であったらしい。兼頼は軍事面よりも行政・経済面で手腕を発揮し、今日の山形市の礎をつくった。兼頼の子孫は山形に居住して最上を名乗った。そして、最上家の在地権力の強化を図る為に、領内の要所に子弟や家臣を配置し、それぞれに城を築かせた。これらの城は、応永年間(1394〜1428年)頃に築城された。しかし、文永年間(1469〜1487年)頃から、これらの勢力が独立の傾向を強くし、最上家の権力が衰えたことによって、最上宗家と対立。こうして戦国時代を迎えることになる 
11代目の最上義光によって、山形城は本格的に拡張整備された。天正年間(1573〜1592年)には、最上宗家と対立する勢力を討伐平定し、最上家の権力回復に成功した。
 1600年の関ヶ原の戦いの際、最上家は東軍についた。そのため、最上家は西軍の上杉家の名将直江兼続に攻められた。直江軍は、山形城付近まで攻め寄せてきたが、関ヶ原での敗報を伝えられた直江軍は急遽引き揚げ、山形城は戦火を免れた。その折、兼続が山形城の西にそびえる富神山に登り、山形城を望んだところ、かすみがかかって見えなかったところから、「霞ヶ城」といわれるようになったという。
 義光は関ヶ原の戦いの功によって、置賜を除く山形全域を支配するに至り、57万石を領することになった。新領地の要所には家臣を配置し、最上家の全盛期を迎えた。
  ※引用です
お恥ずかしながら、逆光の環境でこんな写真となってしまった(当時としたら切腹もの(笑))が「霞ヶ城三の丸跡」と書いてありましたここは本丸から歩いて約20分位、三の丸の広さは何と市内の中心の大半を占めるほど!当時の力を忍ばせる史跡です。
広さを比較すると
本丸  周囲 0.85km 面積  23,800m2
二の丸 周囲 2.3km  面積 279,900m2
三の丸 周囲 6.3km  面積2,348,000m2
※参考東京ドームの広さ    46,755m2


市郷土館(重要文化財)

旧濟生館本館三層桜で後の市立済生館病院の本館。
昭和41年に重文に指定を受け七日町から現在地に移築されたものだが、建築は明治11年。
現在は、一般に公開し郷土資料や医療関係の資料を紹介している。最大の見所はその建築、一見洋風建築だが日本建築ならではの匠の技が随所に生かされているという。
 尚関係HPはこちら
       山形県総務部総務課広報室



市郷土館の看板

当時の看板がそのままの形で付いていた。


県立博物館

城跡に入り左に曲がって直ぐの所にあり、県内の地学・動植物・考古学・歴史・民俗等に関する資料が数多く展示されている。

尚県立博物館のHPはこちら

   山形県立博物館


山形美術館

20世紀のフランス絵画をはじめ、ピカソ・ロダン・シャガール等の作品が常時展示されている。

尚山形美術館のHPはこちら

   山形美術館


最上義光資料館



形の町の土台を築いた11代藩主最上義光と山形城の資料を展示する資料館。
館内には義光が上杉勢との長谷堂合戦の際に身につけていた、弾痕の跡が残る兜や甲冑、指揮棒などの遺品や、長谷堂合戦図屏風、山形城本丸のふすま絵等の絵画類や調度品など、貴重な資料が多数展示されている。
 ※引用です
関係HPはこちら
国土交通省 東北地方整備局 山形河川国道事務所



右写真

向かって左側が県民ふれあい広場(県立病院跡)

右側に「最上義光歴史館」市営駐車場入口(地下)「山形美術館」と続き、一番奥が「山形城東大手門」である。

2013.07.19更新

山形の社寺史跡巡り