①東北一周(S40年5月決行)
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決行3ヶ月前から自転車をどれにするか検討、当時はあまり見る事もなかったドロップハンドルのスポーツ系が良いのではないかと、それから知り合いの自転車店が富士自転車を扱っている事でメーカーは富士自転車となり、ドロップハンドルでは値段も手頃という事で8段変速式になった。
Webで当時の写真が有るのではないかと探しに捜したのがこの写真。
多分間違いは無いと思うものの色は違っていた。
それと50年近く前の事になる為画質が良くないのはご勘弁のほど!
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1日目 5月1日 山形→天童→関山峠→仙台→古川→一関→平泉・・・・ .175km (旅館泊)
出発してから2時間後早くもアクシデント
仙台市手前の愛子で当時工事中だった陸橋の下りの砂利道にハンドルを取られ転倒、弾みで自転車のフロントフォークが右に大きく曲がった為リム&タイヤがフォークにくっついた状態となって走行不能に! 引っ張って歩くにも前輪が回転不能になった為前輪を持ち上げたまま歩かざろう得ないのだが、軽い自転車のフロントキャリアにはガッチリと思い荷物を取り付けていた為、持ち上げるとバランスを取るだけで精一杯、ふらふらと成りながらようやく歩き出すが自転車店が見当たらない。困ったと思いながら数100m歩いた所に自転車店が有ったので早速修理を依頼ほっとするものの、これからどうなるのか先々不安・・・・
反省点としてはツーリングの出発前に前後のキャリアに実際の荷物を載せて走ってバランスはどうなのか調べるのと、このバランスになれるようにしておくべきだったと思う。実際に出発時、自転車の前後のキャリアに荷物を載せるのは初めての事、出発時バランスを取るのが非常に難しいのに気付いたものの、中止する訳にもいかず、そのままスタート!その時の状況は当初ふらふらと真っ直ぐ進めない。それでも天童市を通過する頃までにはすっかりなれたと思ったんだが、これが間違いだった。
当日は平泉のユースホステルに泊まる予定だったが、満室の為(予約していなかった)毛越寺直ぐ側の旅館に泊まる事に。
2日目 5月2日 平泉→水沢→北上→盛岡→一戸町・・・・・・.・・162km (旅館泊)
3日目 5月3日 一戸→十和田市→野辺地→青森→函館(連絡船で)142km (船舶)
4日目 ..5月4日 函館(連絡船)→青森→青森市内見物 (YH泊)
5日目 5月5日 青森→弘前→大館→能代→秋田・・・・・・・・・・・209km (YH泊)
6日目 5月6日 秋田→本荘→酒田→鶴岡・・・・・・・・・・・・・・・・135km (YH泊)
7日目 5月7日 鶴岡→藤島→立川→新庄→村山→山形・・・・・.118km 合計941km
初めてのツアーとなった東北一周はほぼ予定通りだったが、残念ながら栗子峠が雪で不通の為福島県をカットしての一週だった。修学旅行以外旅行をした事のない私は行く先々が初めてで感激だった。
第一日目の宿泊地は最近になって世界遺産に登録された所(平泉)、その当時も既に有名な観光地となっていた。
初めて乗った青函連絡船は「八甲田丸」でまだ就航したばかり(1964)で真新しい舟だったが、これが今青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸博物館船として当時の外観をほぼ残して活躍しているとの事。一度見に行きたいものである。
青森のユースホステルで一緒になった人が次の日も秋田のユースホステルで顔を合わせたが「1日でここまで来たの?凄い健脚だ!!」と驚いていたのを今でも思い出す。
その当時山形市内では珍しいサイクリング用品のコーナーを開設していた自転車屋さんがあったので店を覗いた所、ご主人とサイクリングツア-の話題となり私の東北一周の体験談が切っ掛けとなって自転車競技を勧められる。しかもこれ又その当時盛んだった河北新報主催の「東北一周自転車競技」の県代表として推薦してくれるという。「それだけの健脚ならいける」といわれるがそれまで自転車競技は頭になく、ましてやこれまでスポーツらしい事はあまりやってなかった。 そうこうしている内に説得させられて毎朝血を吐くような厳しいトレーニングが始まる事となった。
平日は30km以上、休日となると120km以上、時には蔵王エコーラインとか、関山峠越えなどもトレーニングのコースに入れたりした。
尚自転車競技はS40年.41年と2年間続け河北新報主催の「三笠の杯東北一周自転車競技」も二年連続出場するも、S43年酒田に転勤したのを切っ掛けに競技はおろかサイクリングから遠ざかってしまう。
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