愛  車  の  遍  歴

日産サニー1000

  私の小学中学生時代は昭和30年代で個人で車を所有出来る時代ではなく、そのほとんどがバスとかトラック等の商用車、乗用車は官庁の公用車。街の開業医がスクーターで往診していたのを記憶している。  私が住んでいた近くの八百屋さんや魚屋さんなどは三輪車を使っていたし、リヤカーがまだ活躍していた。  当時の三輪車メーカーをWebで調べてみると懐かしい名前が色々と出て来た。東洋工業(現マツダ)・ダイハツ・三菱の3社は自動車メーカーとして残ったが、くろがねをはじめとする数ある会社は大手との統合・廃業・倒産等で淘汰されていったとの事。
  その当時乗用車はクラウンかセドリック、後にコロナとかブルーバードが出てきたし、いすゞベレット、日野コンテッサ、三菱コルト、スバル1000、トヨタパブリカ、マツダファミリア、ダイハツコンパーノ、プリンススカイライン等次々各社から小型乗用車が発売されたが、まだまだブームには至らないでいた。
 私が運転免許証を取得したのは昭和41年、免許を取っても車が買えるはずもなくと思っている頃に、大衆車の先駆けとして新発売された車が日産自動車の「ダットサンサニー」(左の写真 )、続いて発売されたトヨタの「カローラ」とともに爆発的に売れ出したといっても高卒の初任給が1.5万円の時代に40万円前後、私は子供時代からずうーっと自分で車を買って乗り回せるような時代は想像も出来ないでいたので、もっぱら左の写真の自転車に興味を持っていた。
 実際にこれで東北を一周したり大阪に行ったりとツーリングを楽しんでいた訳で特別不便を感じるような事は無かったと思う。(これでも当時は50,000円弱!高卒の初任給1.5万円だから給料3ヶ月分)
 そうこうしている時期(昭和44年頃だったと思う)にすれ違った車に吃驚する。
 そのスポーティなスタイル!直ぐに「日産フェアレディZ」と解るのだが、見るのは初めての事で手に届かないサニーが約40万円、Zは100万以下のモデルもあったが?暫くは私のあこがれの車となった。

片倉シルク号
日産フェアレディZ
日産ブルーバード
1600SSSハードトップ

 その私も周囲が(友人)車を所有し始めるとそろそろと考えてみる。
 しかし新車は無理だし程度の良い中古を捜そうかと考えている所へ友人から勧められた自動車整備工場があった。 その整備工場の社長が勧めたのがこの車。(左の写真)
 ダットサン(日産)ブルーバードU1600SSSハードトップであった。
 当時流行のハードトップモデルでツインキャブ(ツインカムではない)
 スポーツタイプで年式も1年落ちモデル!私はなぜかそのまま即決して契約してしまうのである。(夜で暗い所でよく見もせずに)  翌日その車を詳細に見るととんでもない事が?フレームが狂っていて、ハードトップの窓ガラスがきっちりと閉まらないのだ。事故車だったのだ。
直ぐ友人を通してキャンセルにしてもらったのはゆうまでもないが焦ってしまった。
 そのような時期にトヨタからカリーナハードトップ(左の写真)が新発売され、その斬新なスタイルに惹かれる、又このハードトップは大評判となり直ぐにベストセラーとなるが、私は少々迷うものの何故か我が初のマイカーは日産バイオレットになってしまった。(左の写真)
 これが日産との出会いであり又現在まで日産車に乗り続ける切っ掛けとなった。
 この車はブルーバード510の流れをくみボディの作りはしっかりとしており乗ってみると結構タフな車だったが、GLの為4独でないのが残念だった。
 3年間で36,000km走ったが不満はなかった。有るとすれば新車で買った車が2年もしないうちにボディに錆が出始めた事、あの頃はどの車も同じだったかも知れないが?
その頃大道寺有恒が書いた書籍「間違いだらけのクルマ選び」が大ヒット。
 その中で著者はバイオレットを散々な内容で酷評していたが、何と評価されようが自分が好きで手に入れた車である。気にはしない? なるほどと思えたのは後方視界が悪いという事、たしかにそれは云える?。その後出てくる車は後ろ姿はすっきりするようになってきたと思う。
 その後知人の紹介で日産シルビアとバトンタッチする事になったが、ハンドルが非常に重く室内が狭い、それこそスタイル優先の車だったので2年で下取りに出してしまうことになる。 家族が増えたのも一因であるが、2ドアタイプはこれが最後に!やはり車は4ドアセダンにすべきであると思うようになった。
 その時期に大きさも値段も手頃なFR車として浮かんだのが左の写真日産スタンザであった。以前乗っていたバイオレットの姉妹車(実際には三兄弟でこの他にはオースターがあった)で最上級車となるマキシマGT-Eは値段の割には装備も良く、又シルビアの下取りも条件良かった事から即決!それから11年間で120,000km乗り続ける事となる。
 運転していて、この車のどこがGTなんだろうかと思う事もあったが(名だけのGT?)、ウォーターポンプの故障でオーバーヒート寸前に、信号停止中にエンコ?(燃料ポンプの故障)トランクルームが錆だらけ等以外トラブルもなく又事故もなく11年間走り続けた。
 注 昭和53年排ガス規制適合車で日産はZ(ゼット)エンジンとツインプラグを大宣伝していたが、燃費を考えるとあまり良いエンジンとは思えず、よく11年も乗ったものであるというのが本音?。

 1973〜1990年の17年間に3台を乗り継いできて、いよいよ4台目からスカイラインに。

トヨタカリーナ
ハードトップ
昭和48年3月
日産バイオレット
ハードトップ
昭和51年5月
日産シルビアLs−S
(1800)
昭和53年10月
日産スタンザ
マキシマGT−E
(1600)
平成2年3月
日産スカイライン
スポーツセダン
2000GTS

 正直言うと最初の車を購入する以前からスカイラインは気になる存在だったのだが、なにせ金のない身分なので諦めていたのだが、ここにきて手が届きそうだと思うようになる。
 私のHPのスカイラインの歴史にも書いているが「ポルシェをターゲットとして開発された8代目は洗練された高性能ツインカムエンジン、新開発4輪マルチリンクサスを装備抜群のロードホールディング性能。前後のオーバーハングを切り詰め丸みを持つスタイリングは走りと取り回しの良さを意識したもの。」
 FRでマニュアルの5速を購入、マルチサスが生み出すコーナリング特性を意識したスポーツ走行を始める。社格が違う事もあるがこの17年間に全ての機能が大きくアップしており、次元が違うとも思わされた。塗装技術一つ取っても5年10年では錆が出てこない。しかし事情あって8年目に手放す事になるのだが。
動ければいいと思い乗ったのが同じスカイラインのR31、10年を過ぎていたのもあって2ヶ月で廃車に! そして手に入れたのがR32のGTS-4 5速だった。元年の年式で古かったがターボの威力は申し分なし一年すると今度は4年式のGTS-4 オートマが手に入る事となりそのまま交換した。
私としては初めてのオートマだったが、運転はかなり楽になりもうマニュアルには戻れない?とばかりに現所有のR34はオートマである。 このR34は今現在12年所有していてこれまでの最長だが(動かなくなるまで乗るつもり)この40年間実際に乗ってきた車を総合判断すると、
   ベストは  スカイラインR32 GTS-4 オートマになる。(5速でもいいのだが?)
   車の大きさ、パワー、加速性能、ハンドリング、5ナンバー等 価格は高いが
   4ドアGT-Rオートマ?と考えれば納得出来るかも知れない。(足回りがほぼ同じシステム)

平成13年
日産スカイライン
2.5GT−V
2013年8月4日作成

     2013/08/04 (日)更新




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