Ⅰ.自転車旅行記

箱根・芦ノ湖前にて   S42.04.25 井県 敦賀半島展望にて(景色は良かったんだが) S42.04.22

自転車旅行をする為カメラは携帯に便利なように、当時業界最小の「オリンパスペンS」を使用していた。(左の写真)
今のように電池を使うものではなく全て機械式でシンプル構造(露出計も距離計もなく全て目測マニュアル)だった為ハードな使用にもかかわらず殆ど故障はしなかった。バカチョンカメラではなかったが残念ながらフイルムはモノクロだった。
  宿泊は一泊2食付きで基本は500円(当時)というユースホステル(YH)の存在を知り、早速会員の手続きを取った。  そのユースホステルは公営は少なく多くは旅館と兼業だったりとか、お寺が経営していたりである。


これは福井県の敦賀道路を通った時の通行券、記念に取っていた。

S40年に東北一周を完走したのを切っ掛けにエスカレート、三年間で日本半周をした。
最終目標は日本全土と思っていたが何せ生活がかかって居る身、残念ながら未だ完走出来ずに居る・・・・・・。

残りの地域は北海道・四国・中国・九州・沖縄だけなのだが・・・・・・・・・・?

①東北一周(S40年5月決行)

決行3ヶ月前から自転車をどれにするか検討、当時はあまり見る事もなかったドロップハンドルのスポーツ系が良いのではないかと、それから知り合いの自転車店が富士自転車を扱っている事でメーカーは富士自転車となり、ドロップハンドルでは値段も手頃という事で8段変速式になった。
Webで当時の写真が有るのではないかと探しに捜したのがこの写真。
多分間違いは無いと思うものの色は違っていた。
それと50年近く前の事になる為画質が良くないのはご勘弁のほど!

1日目 5月1日 山形関山峠仙台古川一関平泉・・・・ .175km   (旅館泊)
出発してから2時間後早くもアクシデント
仙台市手前の愛子で当時工事中だった陸橋の下りの砂利道にハンドルを取られ転倒、弾みで自転車のフロントフォークが右に大きく曲がった為リム&タイヤがフォークにくっついた状態となって走行不能に! 引っ張って歩くにも前輪が回転不能になった為前輪を持ち上げたまま歩かざろう得ないのだが、軽い自転車のフロントキャリアにはガッチリと思い荷物を取り付けていた為、持ち上げるとバランスを取るだけで精一杯、ふらふらと成りながらようやく歩き出すが自転車店が見当たらない。困ったと思いながら数100m歩いた所に自転車店が有ったので早速修理を依頼ほっとするものの、これからどうなるのか先々不安・・・・

反省点としてはツーリングの出発前に前後のキャリアに実際の荷物を載せて走ってバランスはどうなのか調べるのと、このバランスになれるようにしておくべきだったと思う。実際に出発時、自転車の前後のキャリアに荷物を載せるのは初めての事、出発時バランスを取るのが非常に難しいのに気付いたものの、中止する訳にもいかず、そのままスタート!その時の状況は当初ふらふらと真っ直ぐ進めない。それでも天童市を通過する頃までにはすっかりなれたと思ったんだが、これが間違いだった。
当日は平泉のユースホステルに泊まる予定だったが、満室の為(予約していなかった)毛越寺直ぐ側の旅館に泊まる事に。
2日目 5月2日 
平泉水沢北上盛岡一戸町・・・・・・.・・162km   (旅館泊)

3日目 5月3日 
一戸十和田市野辺地青森→函館(連絡船で)142km  (船舶)

4日目 ..5月4日 
函館(連絡船)→青森青森市内見物                (YH泊)

5日目 5月5日 
青森弘前大館能代秋田・・・・・・・・・・・209km  (YH泊)

6日目 5月6日 
秋田本荘酒田鶴岡・・・・・・・・・・・・・・・・135km   (YH泊)

7日目 5月7日 
鶴岡藤島立川新庄村山山形・・・・・.118km  合計941km

初めてのツアーとなった東北一周はほぼ予定通りだったが、残念ながら栗子峠が雪で不通の為福島県をカットしての一週だった。修学旅行以外旅行をした事のない私は行く先々が初めてで感激だった。
第一日目の宿泊地は最近になって世界遺産に登録された所(平泉)、その当時も既に有名な観光地となっていた。
初めて乗った青函連絡船は「八甲田丸」でまだ就航したばかり(1964)で真新しい舟だったが、これが今青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸博物館船として当時の外観をほぼ残して活躍しているとの事。一度見に行きたいものである。

青森のユースホステルで一緒になった人が次の日も秋田のユースホステルで顔を合わせたが「1日でここまで来たの?凄い健脚だ!!」と驚いていたのを今でも思い出す。

 その当時山形市内では珍しいサイクリング用品のコーナーを開設していた自転車屋さんがあったので店を覗いた所、ご主人とサイクリングツア-の話題となり私の東北一周の体験談が切っ掛けとなって自転車競技を勧められる。しかもこれ又その当時盛んだった河北新報主催の「東北一周自転車競技」の県代表として推薦してくれるという。「それだけの健脚ならいける」といわれるがそれまで自転車競技は頭になく、ましてやこれまでスポーツらしい事はあまりやってなかった。    そうこうしている内に説得させられて毎朝血を吐くような厳しいトレーニングが始まる事となった。
平日は30km以上、休日となると120km以上、時には蔵王エコーラインとか、関山峠越えなどもトレーニングのコースに入れたりした。
尚自転車競技はS40年.41年と2年間続け河北新報主催の「三笠の杯東北一周自転車競技」も二年連続出場するも、S43年酒田に転勤したのを切っ掛けに競技はおろかサイクリングから遠ざかってしまう。

②大阪へ(帰りは新幹線で)S41年3月決行

以前酒田に転勤して6年を過ぎ実家に戻ってみると保管が悪かったのか残念ながらすっかり錆び付いていた。
磨いてみるとメッキ部分が剝げ落ちてきて塗装で補修、このまま保管していたが、スペースの問題もあって10年前に別のトレーニング用自転車を購入した時に処分した。

 昭和40年の競技が終わると翌年のツーリングの計画を始めた。
昨年より色々とお世話になった自転車店は片倉自転車(シルク号としてレースにも強いメーカー)の県内総代理店となっていて知識も豊富なご主人は頼もしい存在だった。
それで大阪行きに使用する自転車を決定するのにそう迷わずに左の写真に決定!(実際には泥よけも前後のキャリアも付いていないまったくシンプルなものだった為、特注でそれらを作り取り付ける事を条件にし、左の写真のようなスタイルになった訳だが。 ペダルにトークリップ&トーストラップが付いていないので別のモデルかも知れない。 もっとも公道では危ないので私は外していたが。
競技用ですから全てが軽く出来ていて総重量は約
9kg、クロモリのフレームに各部品はイタリア・フランス製スポークなんかはステンレスの段付きスポーク。
いい事ずくめのような感じですが、これが大間違いと気づいたのはツーリング決行4日目の事、箱根峠下りの悪路でスポークが4~5本切れてしまい走行不能の一歩手前まで。
何も値段の高い競技用の自転車ではなく、ツーリング用の自転車にすべきだった訳です。
価格は当時の高校卒の初任給が13,000円の時代に48,000円だった?


 1日目 3月25日 
山形関山峠作並仙台福島郡山須賀川・・・・・・195km (友人宅に泊)

 2日目 3月26日 
須賀川白川黒磯宇都宮東京・・・・・・・・・・230km (友人宅に泊)

 3日目 3月27日 
東京見物(友人宅に泊)

 4日目 3月28日 
東京横浜箱根沼津富士静岡・・・・・・・・180km (YHに泊)

 5日目 3月29日 
静岡島田掛川浜松豊橋岡崎・・・・・・・・140km (ドライブインに泊)

 6日目 3月30日 
岡崎名古屋四日市鈴鹿峠草津大津・・166km (YHに泊)

 7日目 3月31日 
大津京都大阪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58km  合計969km

この年は異常な位の暖冬の年で1~2月と暖かい日が続いた為、決行を3月下旬と設定したがこれが大きな失敗だった。決行当日になり朝から吹雪きとなり自転車での峠越えは不可能に。やむを得ず先輩にトラックで関山峠を越えた作並まで乗せてもらう事にした。しかし寒さは最終日まで続き途中何度か吹雪にあい苦しいツアーとなってしまった。しかも連日の強い向かい風に苦しめられ当初予定の日程を一日オーバーしてしまった。
3月29日には岐阜市に到着する予定で、この時友人とお会いする予定だったのだが残念ながら予定は大きく狂ってしまい、友人とお会いするのは翌年にお預けとなってしまった。

③北陸・東海道一週

(S42年4月決行)
 昨年の失敗があった為通常使用している競技用はやめて、友人が片倉自転車のツーリング車を購入していた事から、その自転車を借りて決行する事にした。
 当初九州か北海道を考えていたが、訳有ってやむなく予定変更、しかもあと当分ツアーを控えなければならない事情が?

 1日目 4月18日 
山形新庄鶴岡温海村上・・・・・・・・・・・216km (YHに泊)

 2日目 4月19日 
村上新潟長岡柏崎直江津(現上越市).212km (直江津駅構内で泊)

 
3日目 4月20日 直江津(現上越市)糸魚川黒部富山高岡・・・・・・・・・.144km (YHに泊)

 4日目 4月21日 
高岡小松加賀福井武生(現越前市)・・・・・・・152km (教会に泊)
              今になって思い出すのは、たしか福井駅近くで声をかけられた方がいて、「電車を運転していて自転車で走ってお
              られる姿拝見し見守ってました。こうして話しかけてきた人がいたと後々からも思い出してください」と云っていた。
              福井鉄道の方だったんですね。そう言えば国道と電車の路線が並行して走っていた。

 5日目 4月22日 
武生(現越前市)敦賀米原関ヶ原岐阜関市・・・・・.147km (友人宅に泊)

 6日目 4月23日 
関市・岐阜市見物                          (YHに泊)      
              午前中は当時友人が努めていたフェザー安全剃刀(株)の工場見学をする。関市は刃物の町として栄えたとか
              尚フェザー安全剃刀(株)は今どうなっているのかとWebで調べてみると最近本社を大阪に移動していた。
              午後からは岐阜市内を見物、「あれが岐阜城だ」と指を指していたのを今でも思い出す。

 7日目 4月24日 
岐阜名古屋岡崎浜松静岡富士・・・・267km (教会に泊)

 8日目 4月25日 
富士三島箱根小田原平塚八王子・・126km (親戚宅に泊)

 9日目 4月26日
 八王子←→福生(片倉自転車工場見学)・・・・・・・・・・・・・・・・・31km (同上)

              自転車の工場は非常に興味があったのでお世話になっている自転車店のご主人に事前に依頼していた。
              工場の全行程を丁寧な説明で案内して戴きましたが、今はどうなっているんだろうか?と思いWebで調べてみると
              片倉自転車工業は、その昔絹糸紡績では一大企業だったが、戦後の不況から1954年片倉自転車工業を設立し
              東京都福生市の工場で自転車及びオートバイの製造を開始した。特にレースやスポーツに力を入れその当時の
              カタログではオリンピック連続出場とか採用とか記載されていたのを思い出す。
              最新の情報を調べてみるとメーカー自体はすでに廃業。その当時片倉自転車に在籍されていた方がブランド名
              (シルク)を引き継いでスポーツ車のオーダー等を受け付けているとの事。(絹自転車製作所)

10日目 4月27日 

八王子川越大宮宇都宮矢板郡山・・260km (教会に泊)

11日目 4月28日 
郡山福島米沢山形・・・・・・・・・・・・・・・・・148km  合計1703km

             帰りは追い風となった為スムーズに走る事が出来、7日目は一日の走行距離としては自己最高の270kmを記録、
            10日目も260kmで、3~4日目に強い向かい風と砂嵐に苦しめられたのに比べ、夢のようなペースだった。

後記
 最初に決行したのは東京オリンピックがあった年の翌年で昭和40年の事、オリンピックが開かれるという事で30年代に道路の改修はかなり進んでいたとはいえ東北はまだまだで、一級国道とは名だけの?踏切はある、砂利道の悪路、峠越えのトンネル内は照明もなくしかも砂利道、県庁所在地ですらバイパス道がなく、渋滞した市内の真ん中を一級国道が走っていた。
その当時に今の道路状況を想像したら夢みたいな話となろう。 
 現在の道路状況を考えると今ツーリングをするとかなり楽になっているはず・・・・・・・・?と考えてみたり

 現役時代は定年退職したら残りの地域は全て走り貫き日本一周を達成するつもりでいたし、新聞で”日本一周完走”の記事を見る度に”俺も!!”と思っていたのだが、いざその時点になってみるとそうはいかなかった。実際自転車で国道を走っていると後ろから右脇すれすれにすごいスピードで追い抜き走り去る車に、はっとしたり吃驚したりと怖さが先に立ち自転車旅行どころではないと思うようになっている。(風であおられハンドルを取られたり車の方に巻き込まれそうになったり・・・・・・・)


2020.09.17修正 simozyo

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